今回は、北海道在住の吉岡さん(19才、学生)に英語にまつわる体験談を寄せて頂いたのでご紹介いたします。
初めは怖かった留学
たいていの日本人は、中学校からちゃんとした英語を学びましたよね?
私もそうです。ただ、ほかの人と違いがあるとすれば、英語を聞く耳がついていたこと。
これは少し特殊な習い事をさせてくれていた両親に感謝することなのですが、その習い事の関係で私の家にある絵本はすべて外国のものでした。
その絵本には英語で読まれるCDがついていたので、毎日ずっと英語を聞いていました。英語が読めなくても、音で英語を覚えてCDと一緒に話す、これが私の幼い頃の生活でした。
そんな生活のまま小学校高学年になったとき、一人で留学に行かなければならないと習い事の先生から言われました。その習い事は大好きでしたし、英語も好きでした。しかしその当時の私はというと、病弱で体力も自信もない、泣き虫で一人では行動もできないような人でした。
そんな私が文法も知らずに海外?しかも一人で?…絶対に無理です。その当時の私にはそんな勇気がなかったんです。大好きな習い事はそのために辞めました。やめると決意した日はずっと泣いていました。それほど私の中で留学というものは恐ろしいものでした。
私を変えた交換留学
高校一年生:シャイな性格のせいで…
それから月日は流れ、私は高校生になりました。
私の通っていた高校にはアメリカのある高校との間で交換留学の制度があり、一年生の時にクラスに二人の留学生が来ました。高校では私は少し英語が得意な生徒…と、担任の先生には思われていたらしく、二人と一緒に行動するように言われていました。
しかしその二人はとてもシャイで、私自身も英語を話すことに自信が全くなかったので、必要な説明をする以外あまり話しませんでした。今思えば、なんてもったいないことを…。ですが、その二人の家を受け入れたのは私の親友だったので、休日に家で一緒にバーベキューをしたり、ショッピングに行ったりする機会を設けてくれました。
相変わらず話は続きませんでしたが、その時に少しその二人と仲良くなれたので、海外に友達ができたということがすごくうれしかったのを覚えています。また、この時に初めて海外について興味を持ちました。
高校二年生:念願の留学に行けるはずが…
二年生の時、次は私たちの学校からアメリカへ留学に行く番になりました。いろんな先生方から行くことを勧められ、数日悩んだ末に、私はその親友と一緒なら行けると思いました。その親友もシャイな人ですが、私と一緒なら行きたいと言ってくれました。こんな大きな決断を自分でしたのは初めてです。
しかし、私の決断に対して思いもよらない事態が。なんと私の親からまさかの反対を受けてしまったのです。私には無理だ、と。
それまではいいよと言ってくれていたのに、急にお金を出せないと言いました。私には訳が分かりませんでしたし、自分で決めたことを否定されたことを悔しく思いました。きっと親は、私が急に積極的になったので驚いたのでしょう。それほど、私は自分から言い出さないような人でした。
高校三年生:留学生と仲良くなるも…
そして、三年生。今度は隣のクラスに留学生が来ました。隣のクラスなので、授業や休み時間での関りは一切ありません。しかしこれまた、隣のクラスで一番仲のいい友達の家にその留学生は来ていたのです。これはチャンス!遊びに行く機会をつくってもらい、一緒に出かけました。
これが、私にとって留学に行きたいと強く願うようになったきっかけになりました。その留学生は日本文化とアニメが大好きな男の子でした。私もアニメが好きな時期があったので、その話をしました。話しているとお互いに好きなアニメが一致したので、その話をして盛り上がり…たかったんです。
日本人同士ならここで登場人物の話だったり、ストーリーの話だったり、細かいところもきゃあきゃあ、わいわいとなり、さらに仲良くなるのですが、その留学生とはそうはいきませんでした。理由は明確でした。“英語力がない”。
せっかく仲良くなれるチャンスだったのに、いまいち盛り上がらない。その留学生もシャイなほうでしたが、アニメの話をするときは熱心で、私たちにもわかるような英語で伝えてくれていたのに、同じ返ししかできない。
さらに、日本の文化について聞かれても、知らないし、説明できない。幼い頃から英語には触れてきたし、英語の成績も悪くはなかった。なのにどうしてこんなに喋れないんだろう。その日の夜はずっとそんなことをずっと考え、後悔していました。
もっと話せたら、日本にいたあの日が一番楽しかったと思ってもらえたかもしれないのに、と。私が高校三年間で何度も悔しい思いをし、私を変えはじめた留学という言葉、大学では絶対に行ってやる!と思い、留学制度のある大学へ進学しました。
ついに留学へ。待ってたのは自信をなくす環境
留学に行きはスムーズに決まりました。行き先は高校の時と同じくアメリカ。
金銭面は私が小学生のときに行く予定だった分を両親は取っておいてくれていましたし、留学にいくための校内試験や面接もありましたが難なくクリア。
行けると決まってからは学校での英語の授業は自然と楽しく、頑張ろうという気持ちが大きくなっていました。先生に質問するようにもなったし、自宅で留学に向けて単語の勉強をするようにもなりました。検定試験にもチャレンジしました。準備万端でいざ海外へ!楽しみだなあ!
この気持ちのまま、留学を終えることができたと思いますか?いいえ、もちろんすぐにつまずきました。まずつまずいたのは、乗り換えに使ったトロントの空港です。早すぎ。
乗り継ぎの場所を聞く必要があったのですが、いざ聞くとなると、喋れない。聞き方がわからないのではなく、発音に不安を持ってしまったり、聞き取りに自信がなくなってしまったりして、怖くなってしまいました。
今思えば、どうして今まで英語のCDを聞いてきてリスニングには自信ありまくりの私がこう思ったのか謎ですが、環境のせいでしょうか、本当に急に自信がなくなってしまったんです。結局その場は喋る担当の友達とリスニング担当の私の二人で聞きに行き、特に何もなく解決することができました。やってみたら、やはり大丈夫なのです。
その後、ホストマザーの家に到着しました。その日は 海外あるある の飛行機の大幅な遅延で夜遅かったので、一度寝てから、私の留学生活はスタートしました。
はじめのうちは家の使い方など、教わることがたくさんあります。それをメモできるように私は手帳を持ってリビングへ行きました。しかし、実はその手帳は私のカンペ。とっさに質問されて答えられなくならないように、質問したいときにすぐに質問できるように、簡単な英文まで書いておいたのです。
この手帳をよく使ったかと言われたら、そんなことはありません。なんとなくジェスチャーなどで伝わるし、最悪単語を並べるだけでも伝わります。けれど、お守りのようにしていつも持っていました。
留学して知る、日本の英語教育っておかしくない?
その学校には中国人や韓国人、トルコ人などアジア圏内を中心に様々な国の人がいました。学校に通うようになった時、私は友達を作るのに必死でした。運良く私の先生はペアワークの時間を多く作ってくれたので、友達作りに困ることはなかったのですが、そのペアワークの時も、ジェスチャーと笑顔で何とかやりきっていた感があります。
そこで、私はあることに気付きました。日本人は文を書けるけれど、当てられるまで話さないことを。
逆に、他の国の人はすごく積極的に話すから一見英語ができるように見えるけれど、実は過去形すら分かっていないこと、スペルが分からないこと。
これに気付いた時、日本人って英語の学び方を間違えていると感じました。
だって、現地に行ったら書けるよりも話せないといけないから。いちいち文法を気にしていたら、
会話にならないから。
高校受験だって大学受験だって、文法や長文読解がメインです。話す練習なんて、いつしましたか?
結局私たちが中学校で学びはじめた英語は、出だしが間違っていたと思うんです。
まずは文法、ではなくて、会話の練習ではないでしょうか。
その会話の練習も、教科書に書いてある会話文を読み合うのではなくて、自分で聞き取って、考えて、なんとかして言いたいことを表現するという会話の練習。そうしないと海外で使える英語は身につきません。
もしかしたら、私が文法を知らないから、自信が無いからといって行かなかったあの留学の機会は、本当は使える英語を身につけるために必要だったのかもしれません。決断すべき場所は、もう少し前だったのかもしれません。
まとめ
- 子供の頃は恥ずかしい思いが強く留学を避けてしまった。その後は行きたいのに行けなく日が続いてしまった…
- 大学でやっと留学に行けたけど上手く話せないことに悩んだ。でも、これって学校で話すこと教わってないからでは??
- 日本の英語教育は 書く>話す で理解力を重要視しているけど実際に必要なのは会話力。本当の英語を身に着けるには会話練習。そのためには早くから留学に行った方が良かった。
当ブログでは皆さんの英語にまつわる体験談を募集しています。
こちらの記事は、オーストラリアでインターンをされた方のした方の体験談です。海外インターンで直面した困難をどう乗り超えていったのかは私たちが成長するきっかけを教えてくれます。
ぜひご覧ください。