カンボジアに移住・起業していた東京都在住 のに
(30代、男性) の移住体験談
国 :カンボジア
期間:3年
目的:移住・起業
アホな理由で東南アジアに憧れる
僕は東南アジアが好きすぎてカンボジアに移住したのですが(もう帰国済み)、きっかけは「成長期にタイ人みたいな顔になった」ということでした。
「なんだその理由?」と思う人もいるかもしれませんが、本当にこれがきっかけなんです。
学生時代は「タイ人、タイ人」と散々イジられたり、好きな子に「タイのガキんちょにしか見えない」と言われてフラれたり。大学の時、初対面の人に「どこの留学生ですか?」と聞かれたこともありました。
それだけ東南アジア顔だったんですよね。思春期真っ只中だったんで「タイ人いじり」が嫌で嫌で仕方なかったんです。
そんな僕にも転機が訪れました。就活です。
就活の時、「自分はどんな仕事が向いてるのか?」と仕事に対する自己分析を始めました。しかし、サッパリわかりません。
では、自分の人生を時系列で考えて「どんな時にどう思うのか分析しよう」と思うようになりました。でも、自分に合う仕事の糸口が見つかりません。
煮詰まって煮詰まって煮詰まってくると「そもそも何のために生まれてきたのか?」などなど自分の人生全体に対する自己問答を続けるようになりました。何のために生まれてきたのかなんて今でも分からないのに、答えの出ない問いに当時の僕は悶々とした日々を過ごしていました。
そんな時ふと、「そもそも何で日本にいるんだろう?」と考えがよぎった時に自分の中で何かが弾けました。急に目の前が明るくなってこう思うようになりました。「海外に行けば良いじゃん!」これが僕が海外に憧れ始めた理由です。
そして、どうせならずっと タイ タイ 言われていたのでタイに行きたいと思うようになりました。タイは当時、経済成長の真っ最中。伸びてる市場に身を置いて変化を体で感じたい。それに、タイ人に似てると散々イジリ倒されたネガティブな体験が突然、深い縁を感じるポジティブな体験だと感じるようになりました。もし自分がタイに行ったら現地の人が色々助けてくれるような気がしたんです。
また、タイでなくても東南アジアなら経済発展中でした。タイでなくても東南アジアで働きたいと思うようになりました。
そんな思いで大学4年から急に海外に憧れ始めました。就活では海外事業に携われる企業にターゲットを絞って応募。面接で海外への想いを伝えたら「君のような学生が欲しかったんだ!」とアツいことを言って頂いて、狙い通り東南アジアに進出している大手メーカーに決まりました。
就活の終わりと同時に英会話学校のNOVAに3年で80万というローンを組んで英語の勉強を始めました。この辺のフットワークの軽さは人に誇れるところだと思っています。
しかし、現実はそんなに甘くありませんでした。すぐに行けるとは思ってはいませんでしたが、海外に力を入れると言っていた会社でも海外赴任ができるのは35才以上の課長クラスの人、ということが分かったのは入社5年を超えてから。業界自体が斜陽産業だったこともあり、このままではいけないなと思うようになり8年働いた会社を退職しました。
ただ、それまで大手企業で決まりきったルーチンしかやってこなかったので、海外に行きたいけど今すぐ海外で働いていける自信がない。ビビッてしまって海外に支店のある日本の広告代理店に転職。
ただ、ここでも転機が。
その年に、人づてにカンボジアで広告業で起業している方の話を聞いて講演会にいきました。
講演会の後、すぐにその人を捕まえて色々と話を聞きました。「カンボジアに遊びに来たら良いじゃん」と本人は本気で言ったかどうか定かではないですが、僕は持ち前のフットワークの軽さを存分に発揮して3連休を利用してすぐにカンボジアへ旅行に行きました。そして、その場でカンボジアへ移住することを決めました。
カンボジア移住前に心配だったこととは?
無謀な単独資本での移住にも関わらず不思議と収入面や未来に関しての不安はありませんでした。おそらく不安よりもチャレンジするワクワク感の方が勝っていたからだと思います。
それに、事前にカンボジアに行っていたので、食事面や生活面についても心配はありませんでした。ホコリがいっぱいで衛生的とは言えないですが、自分なら大丈夫という変な自信があったと思います。
心配ごとと言えば病気に関することです。医療のレベルは日本と比べて低いですし、感染病にかかるリスクもあります。なので、出国前にA型肝炎、B型肝炎、破傷風の予防接種を2回ずつ行いました。
また、狂犬病は発症すると100%の確率で死に至るそうで予防接種しました。ただ、国内だとワクチンの在庫が少なく高額なので現地の日系クリニックで3回接種しました。
自分の夢に向かって進んでいるので、いつ病気になったり事故に巻き込まれたとしても本望という気持ちでした。ただ、万が一の時にも親に迷惑をかけたくないという気持ちがあり、将来への投資にもなるので積立式の生命保険には多めに加入しました。
[仕事面] 初めての海外ビジネス。カンボジアでの仕事は?
良かったこと
- 入り込む余地がたくさんある
カンボジアで働いていみて楽しかったのがみんなウェルカムだったということです。
飛び込み営業をしても、日本だったら断られたり鼻であしらわれたりします。しかし、カンボジアでは基本的にどこに行っても嫌な顔せず明るく対応してくれました。スタッフ10人くらいが集まってきて興味津々に聞かれたり、決裁者の電話番号を教えてもらえたりしたことも。
僕が東南アジア顔過ぎて、行くとこ行くとこカンボジア人と間違えられたせいかもしれませんが。笑みんな優しかったです。
- 日々発展している
国自体がこれから発展していくところなので、みるみる街並みが変わっていくのを見るのも楽しかったです。それに、自分でビジネスをした時にも「まだ無いもの」を「作り上げる」という工程はとてもやりがいを感じました。
- 偉い人と知り合える
また、割と簡単に大臣クラスの人と繋がれるのも途上国ならではでした。
悪かったこと
良い面だけでなく悪い面ももちろんありました。
- 日常からトラブル
・アポ当日に連絡が着かなくなったり、「忙しい」という理由で当日キャンセルになったり
・契約書を交わしているのに「いつもと違う」という理由で反故にされたり
・盗難が相次いだので監視カメラを設置したら監視カメラごと盗まれたり
・自分の月収を言いふらした社員がいて、他の社員達にストライキを起こされたり
・社員が他の社員の私物を盗んで質屋に流したり
などなどトラブル頻発。書ききれないくらいありました。
- 休みが多すぎる
カンボジアは世界で2番目に休みが多い国だそうで、正月は3回あるし(1月:ワールドニューイヤー 2月:中国正月 4月:カンボジア正月)、ほぼ毎月3~5連休があったり。休みの多さで仕事がちょいちょい止まってました。
その上「普通の会社は、土曜日は休みか午前だけだ!」と言われたり。仕事をする環境としては大変な環境でした。
- 儲からない
まぁ、一番シンドイのが儲からないことでした。僕は起業もしたんですが、どんなに色んなビジネスプランを考えても、マーケットが小さくて儲かっても月500米ドルくらい。最終的にターゲットも多くてコストも抑えられる観光客向けのお土産をスモールビジネスとして始めました。それでも、労働ビザ代、税金、公然とやってくる消防署への賄賂代など余分な費用がかかります。ほとんど残りませんでした。
- 賄賂
そう!途上国の役人と言えば賄賂。
Under tableやUnder moneyなどと言ってましたが、役人が「忙しくてできない。わかるだろう~?」と意味ありげに聞いてくるので、袖の下を何とか払わなくて済むように交渉してました。
でも、さっさと払った方がスムーズに行くので時と場合ですね。こういうことが頻繁にありすぎてcorruption(汚職)という単語をすんなり覚えることができました。笑
[言語面] カンボジアでも英語で生活するの?
良かったこと
- コミュニケーションは英語
カンボジアでも基本的なコミュニケーションは英語。カンボジア特有の訛りが酷くて最初は違和感がありましたがすぐに慣れました。仕事だと大体マネージャークラスは英語が話せるので、そこまで仕事に支障はなかったです。
カンボジア生活が初めての英語で仕事をする場で、行く前はきちんと話せるか心配はありましたが向こうの英語も結構ブロークンですし、出てくる単語が少ないので発音にさえ気を付ければ問題なかったです。この体験が僕に英語に対する自信を与えてくれました。
- 流暢な英語をしゃべるカンボジア人も
また、ゲストハウスで知り合ったポーランド人に連れられてカンボジア人の英語のスピーチクラブの発表会に行ったことがありました。スピーチしていたカンボジア人たちの英語がまぁ流暢なこと!勝手に敗北感を感じて、僕も参加させてもらうことにしました。「トーストマスターズ」という組織だったんですが、後で知ったんですが世界各国にあるらしいですね。もちろん日本にも。
彼らは留学経験がないのに英語がペラペラでした。スピーチ中でもウンウン頷いたり、「分かるわ~」みたいなデカめのリアクションをしたり、手を挙げて積極的に授業に参加する姿勢に日本の教育と授業に臨む姿勢やハングリー精神が違うことにとても恐怖を感じました。
ちなみに、カンボジア人が出世するのに流暢な英語を話せることはマストだそうです。お金持ちの子供はそうではないですが・・・
悪かったこと
- 英語話せない人も多い
地方の人やスタッフクラスの人はカンボジア語しか話せない人もかなりいました。そうするとコミュニケーションが取れないので、必然的にカンボジア語も覚えるようになりました。
僕のカンボジア語は小学生レベルなんですが、帰国した今でもそこまで衰えてないのが不思議です。笑
[生活編] 憧れの海外生活は?
良かったこと
- 日本の商品も手に入る、ローカルの物は安い
生活には全く困りませんでした。市内には日本のイオンが進出していて、日本よりは高いですが日本のものも手に入りました。日系の店でなくても商品は手に入りますし、ローカル向けの市場に行けば、虫がバチバチ顔に当たりますが安く商品が手に入りました。
- 発展をリアルタイムで感じられる
発展途上国ということであちこちで開発が進んでいるので毎年新しい発見がありました。あっという間に立てられる中華系企業の中国ビル、シンガポールのマリーナベイサンズをパクったようなデザインのビルも建設していました。
カンボジアのマリーナベイサンズ「D.I.RIVIERA」(Project Cambodiaより)
- 日常が国際交流パーティー
また、カンボジア人だけでなく欧米人の友達と一緒に飲んだり遊んだりするのは楽しかったです。フランス人とルームシェアしていたこともあり、毎週末ルーフトップバーで何かしらパーティをしたり飲んでいました。暑い国で屋上から景色と涼しい風を感じながらお酒を飲むのは最高の時間でした。アメリカ人たちとドッジボールなどをするのも楽しかったです。
悪かったこと
- 医療レベルが低い
軽傷でしたが、車に跳ねられたことがありました。地元の病院に担ぎ込まれたんですが、医療レベルが~というより何より、注射針がちゃんと消毒されているかが怖かったです。数年前に注射針を使いまわしてエイズに感染したというニュースもあったので…(地方病院でしたが)。
他にも歯医者が異常に高く、歯の治療は日本に帰国した時にまとめて行っていました。医療レベルが低い中で、高度な医療を受けようとすると費用も高くなります。
- 教育レベルも低い
教育も医療と一緒で、高度な教育を施そうと思うと、インターナショナルスクールで1年100万円も必要になるそうです。当時、年間で70万円くらいしかかせいでなかったのですが、子供が出来た時の不安はありました。
休日の過ごし方
- 普段の週末はパーティー
自営だったので普段と変わらず何かしら作業していました。強いて言えば週末は大体パーティをしていました。東南アジアのシャバシャバの薄いビールに氷を入れて飲むスタイルが未だに好きです。
- 大型連休はリゾート地や海外旅行へ
また、リゾートビーチや外国にも安く短時間で行けるのも魅力でした!長期の休暇にはカンボジア国内のリゾート地や周辺国のベトナム、タイ、ラオスには気軽に行けました。
バスで行けばベトナム・ホーチミンへは片道1,100円くらい、タイ・バンコクへは片道2,700円くらいで行けました。海外旅行が激安で行けるのは夢のようでした。
現地の日本人とのどのくらい接したか?
- 途上国あるある「同胞をダマす」
日本人同士情報交換したり繋がれることも多いのですが、途上国あるあるで「良く知らない新参の日本人を在住歴の長い日本人がダマす」ということがありました。これは韓国人コミュニティでもアメリカ人コミュニティでも同じようでした。在住日本人の間でいざこざがあったので、自分から積極的に接しようとはしませんでした。
日本人と接しないでもやっていけるくらいに外国人やカンボジア人と接するようにしていました。おかげで英語もカンボジア語も上達しました笑
- それでも日本人の繋がりはありがたい
必要以上に求めなくても日本人の繋がりは勝手に広がっていきました。日本人同士なので意思疎通を図りやすいし、クオリティは担保されているし。食事に行けば話は尽きないし。
日本人商工会にも出席するようになったり、日本人の繋がりで仕事を頼まれることもあったり、結局 日本人の繋がりから広がっていくこともあったので、本当にありがたかったです。
日本人社会とは「付かず離れず」くらいの距離感で接していました。海外なのに日本人とばっかり接していたら成長できないですしね。(そういう人もいましたが)
行く前の自分にアドバイスするなら?
- マーケットの大きさの問題は何度も考え直せ
資金不足で撤退することになったので、事前のマーケティングは大事だと思いました。特に人口の多さはきちんと考慮にいれるべきでした。人が少ない = ビジネスの広がりが少ない、ということです。カンボジアは東京+神奈川よりも少ないのです。
都市名 | カンボジア | ベトナム | 日本全体 | 東京+神奈川 |
人口 | 1,700万人 | 9,500万人 | 12,650万人 | 2,300万人 |
カンボジアは人口が少ないからこそ大手が入ってこないのが魅力だと言われていたのですが、やはり人口の大きさは外せない問題でした。今でもホーチミン市内であちこちで建ってるビルの多さ、車・バイクの多さの光景が忘れられません。
- メチャクチャ楽しかった!
ただ、異国で一人で生活したという経験はかけがえのないものです。今でもキラキラした思い出になっています。行って良かった!
まとめ
英語に関して言うと、カンボジア生活を通して「ネイティブの人だけが話す言語じゃない」ということを身を持って体験できました。
フランス人はフランス語交じりの英語を話すし、イタリア人は巻き舌で話すような英語を話すし。母国語のイントネーションが混ざったような英語を話すのが自然なんだなと思えるようになりました。
世界中に英語を話す人はたくさんいますが、大部分の人はネイティブのようには話せません。だから、「ネイティブと同じ英語を完璧に話す必要は全くない」と感じました。
英語が苦手な人は、英語を第2外国語として使っているアジア人等と交流して英語を話す経験と自信を手に入れた方が良いです。僕が帰国後にTOEICで800点を取れたのも、カンボジアでひたすら英語を話し続けたので、英語に対する苦手意識がなくなったことが大きいと思います。
とにかく使ってみること、楽しむこと、が英語の上達にとって良いことだと感じました。